自分の人生にYESと言うこと
またウジウジ期間に入りつつあるので、思考の整理も兼ねて脈絡なく書き出し。
ほんといい年して情けないなあと思う一方、こうやって一つ一つ向き合っていくことが将来の自分につながっていくのだと信じてコツコツ考えていこうと思います!ハイ!
他人の承認がほしいということ
もうすぐ就職してから1年が経ちます。早かったような、恐ろしく長かったような、不思議な気持ちです。この仕事をこのまま続けていいんだろうか、向いているんだろうかという思いは、入社してから常に心の中にありました。
自分の認識として、私はそこそこ要領のいいタイプです。
やったことのない作業やイマイチ興味のない内容でも、人並み+αくらいにはこなすことができてきたと思います。ただ、その代わりにものすごい飽き性で、何事も継続することができないのです。
学校での勉強、部活などの、ある程度枠や縛りのあるものは辛うじて続けられます。でも途中でかなりしんどくなります。大学のサークルは、それらに比べて縛りが弱かったのでもう駄目でしたね。
そんな性格もあり、「これだ!」というような、圧倒的にやりたいことが見つかることはありませんでした。
私のような人間は、おそらく目の前にあるものをこなしていくうちに道が見えてくるのだろう。世の中のほとんどの人はそうなんじゃないかと思うけど。
だから、「向き、不向き」とか「もっと合った仕事があるんじゃないか」とかは、まだ考える段階にないのかもしれません。でも、社会人最初の一年間で「目の前にあるものをこなしてきた」時点での自己分析を改めてしておきたいと思います。
・飽き性
・自己肯定感が低め
・プライドは高い
・⇒マイナスのエセ完璧主義、人の目や世間体を気にする
・人に頼るのが苦手
・人に頼られるのは好き
・一言でも認められたり、ほめられると一瞬で元気になる
・求められる反応、行動をくみ取るのが得意で外面は良いほう
・くみ取るけど、その通りに行動するのは年々しんどくなってきた(昔はできてた)
書き出してみると、やっぱり私の価値観に「他人からの評価」や「他人からの承認」が非常に深くぶら下がっていることが分かりますね…。
誰かに、「いいよ」って言ってほしいんですよね。その欲求がずっとある。
家庭環境も特に問題なかったので、やっぱり高校時代の部活での挫折がトラウマになっているんだろうなと思います。
そこでいま、こんな程度のことをトラウマって言ってしまっていいんだろうかと、書きながらハッとしました。いや、言っていいんだと。私がトラウマだと思っていれば、それは誰が何と言おうとトラウマなんだと。
トラウマっていうと、いじめられてたとか、親の不仲や離婚とか、そんな大きな出来事にしか使っちゃいけないような気がしています。それすら私だけなのかもしれないけど…
だから私が真っ先に考えたことは、「こんなこと程度でトラウマとか挫折とか言ってはいけないんだろうな」「もっとつらい思いをした人がいるのに」「メンタルが弱すぎるだけと思われるに違いない」等。
今の仕事で辛い時も常に考えています。「こんなもの、あの優秀な同期は軽々やるんだろうな」「こんなに辛いのは私のメンタルが弱いからなんだろうな」「もっとしんどい環境で頑張っている人もいるのに、甘えているな」等。
これらは、事実かもしれない。でも本当のところは分かりません。
しかも、私のメンタルの弱さが事実だったとしても、私のトラウマや辛さは消えないし、他人のそれと比較はできません。
私が辛いと言ったら辛いんだ!!それだけが今目の前にある事実なんですよね。
他人の視点や評価軸を介入させる前に、もっとそのままの自分の気持ちに寄り添ってあげなきゃいけないな、と思いました。
キャリアにもYESと言ってほしい
これからのキャリアにも、真剣に向き合わないといけません。
今の彼と結婚するのなら、そして一緒に住むのなら、転勤についていく必要があるのです。今の仕事はまず続けられないでしょう。
そして今の仕事は、このまま数年はそこそこ特殊な現場仕事になります。年齢を考えると、潰しのきく経験を積めないまま結婚して退職する可能性があります。
再就職といっても、僻地の多い転勤先を考えると正社員は厳しいと思います。選択肢を挙げるとすると、
①結婚はするが別居、産休育休をフルで使って短期間同居するがその先も単身赴任
②結婚はするが別居、しばらくして子供ができたら退職⇒②or③へ
③結婚と同時に退職、パートや派遣として働く
④結婚と同時に退職、場所を選ばないフリーの仕事or起業し、続ける
私の考え方として、夫婦として共同生活は必要だと思っています。
両親も現在は単身赴任していますが、やはり私の求める家庭像を考えたとき、子供が小さい間は両親が家にいてほしい。
そう考えると、①は現実的ではありません。また、新婚生活を経験したいという私の憧れ(笑)を考えると、②も避けたいのが本音です。これから仕事が面白くなったら、ギリギリまで働きたいと思うのかもしれませんが…、身重になってから退職、引っ越し、新生活というのは厳しいのかなと。ここは少し調べた方がいいですね。
結婚してからも、数年同居を待ってもらうこともできます。ただ、妊娠出産の適齢期を考えるとそんなに余裕はありません。30才までには妊娠の準備を整えておきたいところです。(2,3人は欲しい+高齢出産のリスクは避けたい)
③は一番簡単です。最も一般的な道かもしれません。ただ、キャリアは中断され、ほぼ100%戻れません。それに③では、子供ができないリスクを考えていません。もしかしたら、私か彼がどうしようもない不妊症かもしれない。それが分かったとき、私はすでに退職していて大した経験も資格もない…。ゾッとします(笑)
子供のいない専業、パート主婦の方を見下しているわけではなく、私の人生として考えたときに、あまりにリスクが大きいと感じてしまうのです。
だとすると、④しかないんですよね!!一気に難易度が上がりますね(笑)
場所を選ばないフリー…というと、IT系が真っ先に思いつきます。技術的なもの、デザイン的なもの、PC一つで完結する仕事を考えないといけません。起業するにしてもこれは同じですね。勉強しないといけません。
それか、場所が移っても必要とされる資格を取るのもあり。医療や介護関係は、地方でも僻地でも食いっぱぐれないのかなと思います。
こうやってぐちゃぐちゃ考えているとやっぱりちらつくのは、「このキャリアは他人から見てどうだろうか」「世間的に落ちぶれていないだろうか」という声なんですよね。
そんなことはどうでもいいって頭ではわかっているんですけどね。
でも本当に納得はできていないのだと思います。無意識に比べてしまう。
現実に存在する、華々しいキャリアを築く友人や、見ず知らずの架空のスーパーウーマンと比べてしまう。
自分が納得できれば、どんなキャリアだろうと幸せに違いないのにね。間違った方向のプライドと自意識ですね。
他人と比べて嫉妬や不安を感じてしまう限り、私は何を選んでも本当に幸せにはなれないんだと思います。
一日でも早くフッと納得できる日が来るように、これからも、何でどうしてと懲りずに考えていこうと思います。
出勤前はいつも苦しい
出勤前と着いてから、仕事が始まる前が1番しんどいのはいつになっても変わらない。
始まっちゃえば楽になるのは分かっていてもいつも息が苦しい…どうしたものか。
まだ来ていない時間、分からないものに対する恐怖が人一倍強いのはどうしてなんだろう…
生まれつき小心者、臆病者と言ってしまえばその通りなんだけどね
なんとか克服できないかな〜
ああ、今日も仕事しますか
先延ばし癖を自責しない、肯定することから改善の糸口を探す
新社会人といっても、入社して早10か月
コロナの影響でドタバタした新入社員生活だったけど(我が業界は特に)、あっという間と言えばあっという間だった。
けれど精神的な体感時間でいえば、長い長い10か月だった。
自分の備忘録、客観視の一助という趣旨のブログなので、ここでは、これまでと現在の私の事を書き連ねていこうと思います。
なんでブログをはじめたのか
昨年3月、大学を卒業した。
希望していた企業への入社と同時に慣れない一人暮らし、彼氏とは遠距離スタート。
環境が大きく変わって、求められることも大きく変わって、会いたい人には会えなくなり…この10か月はコロナを抜きにしても、何度もメンタルの危機を迎えた。
それは現在も進行中で、ふとすると虚無感にとらわれて、何のために生きているんだろう…とメンタルが奈落の底に落ちて行ってしまう毎日。仕事中が実は一番精神が安定している気がします笑
元々豆腐メンタルで、これまでだましだましやってきた私。でもこんなしんどい思いしながら社会人なんてやっていけない!これではいけない!なんとかせねば…と、最近はゆるゆると自己啓発系の本を斜め読み等して内省し、自分の内面をアップデートしていこうと模索中。
考えたことをノートに書いていたのですが、やっぱりいつでもどこでも書ける場が欲しかった。あとできれば多少人目があったほうが冷静に客観的になれるかなと思い、ブログを始めてみようと思いました。筋金入りの3日坊主なので、いつまで続けられるか不明ですが…
先延ばし癖と私の自己肯定感
最近目からうろこだったことをとりあえずメモしておこうと思う。
仕事でやるべきことがあっても、先延ばしにしてしまう癖が今の私の目下の問題でした。逃避しながら何とかやり過ごしても、常に何かから追われているような、責められているような感覚が消えなかった。そうなることはわかっているのに、なぜか先延ばしをやめられなかったんです。頭ではわかっていても、なかなか行動できずいつも先延ばし…。先延ばし癖は今に始まったことではなく、学生時代のテスト勉強から始まりすっかり私の体に染みついてしまっています。
なんでだろう?と考えるたら、私が先延ばしするときの感情は、圧倒的に「怖い」なんですね。
もう、何が怖いか分からないけどとにかく怖い。怖いから見たくない。
そして厄介なことに、先延ばしにすればするほどどんどん恐怖は増していく。
それが分かっているから、恐怖が少ない初めのうちに片づけてしまえばいいのに…は、ごもっとも。私も調子のいい時はそうできます。でも、他に心配事があったり、余裕がないともう無理。
なんて自分は心が弱いんだ、甘えているんだと何度自分を責めたかわかりません。
あ~これはもう一生治らない私の欠点、性格なのかと半ばあきらめ、社会人になってからも結局ギリギリ人間。逃げられるところまで逃げる。あとで自己嫌悪になるのはわかっているのに…
なんか対処法ないかなと本を読んだりしましたが、「小さな成功体験を積み重ねる」「物事を始めざるを得ないしくみをつくる」など、まあ言っていることは分かるんですけどしっくりこなくて。
速攻で手を付ける癖付けは分かるんだけど、それよりも恐怖が勝ってしまうことがほとんどで結局動けない。
そんな藁にも縋る思いで、精神状態最悪な時に見たのが、メンタリストDaigoのこの動画。
私が見たかったのはこれだ~!
と声が出そうになった。
前から、私は自分の事をエセ完璧主義と自覚していたけど、完璧主義と先延ばしは直結しているんだな。
対処法をじっくり見るために、ニコニコ有料登録もしちゃいました笑。
私が動けない原因である「恐怖」って、「うまくいかなかったらどうしよう」「否定されたらどうしよう」という自信のなさから来てる。
自信のなさというか、もう思い込みのレベルで私の行動を縛ってる。
「失敗するに違いない」「否定されるに決まっている」と毎日頭の中で反芻して、逃げてしまって、怖くて怖くてたまらない毎日を送っている…。
不健康すぎる笑。
だから、「怖くないんだよ」と自分に言ってあげる必要がある。
もし自分の親友が恋人が、私と同じことでうじうじ悩んでいたらどう声をかけるか?と考えたときに浮かんだ言葉は、いつも私を慰めてくれる彼氏の言葉そのままだった。
その言葉を書き出した時、なぜか涙が出てきた。
いつも私を思ってかけてくれる言葉を、私は一切信用していなかったんだと初めて分かった。自分を信じられていないのはもちろん、大事な人の言葉も信じていなかったんだな。
本当の意味での客観視
まだ怖くなる時も、虚無感にとらわれるときも多いけど、少しづつ「大丈夫だよ」と自分に言ってあげられることが増えてきたと思う。
これまで私は、自分の事を客観視できていると思っていた。
でも全然できていなかったんだなと痛感している。
完璧主義と思い込み、自己肯定感の低さ、まだまだ内面の問題は山積みだけど、一つ一つほどいていけたらなと思っています。
何より、私の楽しい人生のために!
これからもつらつら書いていこうと思う。